東海道五十三次、吉原宿(その1)


広重、吉原、左富士


昨年2月訪問時は富士山がかすんでいましたが今回は箱根の帰途、途中下車で立ち寄り
前回見落とした脇本陣、問屋場跡、高札場跡を探しましたが見当たりませんでした。
2012.3.25撮影、今泉地区にて。


広重画検証:広重画と同じ場所です。左オレンジ色の富士と右黒いのは愛鷹山と云われます。


妙法寺・毘沙門天、2月9日〜11日の「だるま市」は日本三大だるま市のひとつです。
本宿は江戸方より順に掲載しています。


中吉原宿の跡。今井・鈴川地区にあった元吉原宿は漂砂や高波のためここに移転し、
再度、台風の高潮に遭い現在の吉原商店街に移転しました(富士市ガイドより)。
市内主要な地点で海抜何メートルの標識が見られたのもそのためでしょうか。依田橋
一里塚跡はここにあったと言われる



上記の場所から見た富士山2枚、右少し場所ずらして1分後に撮る。


旧東海道が和田川を渡る東詰めにあります。



今新吉原商店街は改装工事のため新吉原宿跡の標識は一時撤去のようでした。
右は東木戸跡と付近の街並み。


新吉原商店街中心部にあり、宿場の案内、資料など無料で親切に教えて頂けます。
また清水次郎長や山岡鉄舟が常宿とした有名な旅籠です。


吉原本町駅から西方・新吉原商店街へ向かいます。2012.3.25吉原本町駅で撮影


富士市「吉原宿の今昔」によれば:天神社参道入り口の向かい側に脇本陣(野口祖右衛門・
野口カメラ店)がありました。2012.3.25記。


富士市「吉原宿の今昔」によれば:唯称寺(写真右)参道入り口付近に問屋場跡(メガネの
ヤナセ前付近)、高札場跡、脇本陣跡が並んでありました。2012.3.25記。


富士市「吉原宿の今昔」によれば:明治元年、明治天皇が江戸への途中小休憩された場所、
当時の高砂館跡。ここ南側にも脇本陣(おもちゃのキムラ)がありました。2012.3.25記。


右は大宮街道道標。左折して次の宿場へ行く。富士見会館付近に上本陣がありましたが
何も見当たりませんでした。また向かい側に脇本陣(銭屋・矢部清兵衛)がありましたが
同様でした。2012.3.25記。

吉原宿(その1)|吉原宿(その2)

富士市ウオーキングマップ1 富士市ウオーキングマップ2

箱根宿(特集その1)

富士の湧水・柿田川(三島市)から富士川まで 吉原→箱根第1部

次は蒲原宿 熱田参りじゃ
次は原宿(お江戸日本橋へ)

55箇所 トップページへ 東海道53次   ハイビジョン動画館

インターネット地図検索サービス
「るーとMap」で、行き先までの道順を調べよう

静岡県のホームページ

富士市ホームぺージ

富士市立博物館へのご案内

商業地・吉原商店街(愛称は虹いろ〜ど)