徳川家康公 愛知史跡めぐり(その6)


五条橋(清洲)
五条橋(名古屋・西区)。清洲越(慶長15年、1610年より行われた町ぐるみの引越しをいう)。


現清洲城
。城主・徳川義直の代になり、家康の命により名古屋城への町ぐるみ移転を
行い清洲城は廃城となり、町は衰退した。城は対岸の高台にありました。世に「清洲
越え」といわれる。清洲城特集


国史跡:小牧山
。関連:国史跡:小牧山。右は東面を撮る。


城入り口前の徳川義親氏(国史跡:小牧山を小牧市に寄贈)銅像
。城は名古屋市在住
(故人)の実業家が私財を投じて建設、小牧市に寄贈されたものです。


長久手・色金山歴史公園
。関連:長久手・色金山古戦場 左は家康公が戦を指揮し
腰をかけたとされる床机石(しょうぎいし)。


庄九郎塚
。勝入塚から南へ250メートルのところにあります。


御旗山古戦場
史跡コース色金山に兵を進めた家康は秀吉方の池田、森隊の様子を
伺いながらこの地に進攻し、頂上に金扇の馬標をたてました。後年、
地元の人々により富士浅間社が祭られ、富士ケ根ともよばれます。


長久手城址
。長久手合戦の折り、徳川方の丹羽についていた
加藤太郎右衛門忠景の居住跡、忠景は義弟岩崎城主丹羽氏次
の留守を預かって奮戦しましたが池田隊の多勢に敗れ戦死しました。


小幡城跡。
左下写真の城址から北区、小牧市名古屋空港方面を撮る。 関連:長久手古戦場
小幡城跡


龍泉寺城と庭園。


太清寺
。リンク:太清寺 太清寺


不発橋(うたずばし)
。左、森の向こう住友企業の敷地内に宇田津砦がありますが立ち入ること出来ません。
本社の許可を受けて下さいとのことでした。 宇田津砦


蟹清水砦跡(黄色の矢印)
蟹清水砦跡


上末城跡
。上左黄色の矢印。 上末城跡 上末城跡・陶昌院


小牧御殿・代官所跡前
から街道商店街北方面を撮る。左は岸田家。説明書拡大


岩崎山砦跡
岩崎山砦


久保山熊野社(右)
。左は熊野社前から岩崎山砦を望む。リンク:久保山砦
久保山熊野社


楽田小学校校門前にある史跡「城山」
と楽田城址の石碑(左端)楽田城は日本で初めて
天守閣が設置されたお城といわれる。 楽田城址


田中砦跡
田中砦跡・三号墳


富士塚
。徳川家康が生駒屋敷を訪れた時、織田信雄とともに富士塚(生駒屋敷から
約500m)へ登り、西軍の陣形を見渡した。 富士塚


上陣場(かみじんば)。
天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いで、徳川軍配下の菅沼、保科
の軍が陣をとった場所として知られます。やっとこのルート絶景ポイントの馬籠上陣場に
到着です。馬籠上陣場には幾つもの石碑や案内板が立っています。 碑文 説明文2点


大野城址
大野城址


蟹江城址(蟹江町)


野呂塚
。木曾街道・神明社(上記)付近から西へ約300m。名鉄小牧線羽黒駅南約300m。
野呂塚


坂下御殿跡
。源敬公は初代藩主・徳川義直、名古屋城主。 坂下御殿跡


左は源敬公廟。右は仏殿(無為殿)定光寺の本堂。国の重要文化財。禅宗様式の建築。
本尊は延命地蔵願王菩薩。他に千体他地蔵などを祀る。


右の説明拡大


右は県道から定光寺へ行く165段の石段道。石段を登り詰めると、左の山門、応夢山
定光寺の入口になります 定光寺


直入橋。定光寺へ行く165段の石段道入り口にある橋。 直入橋


定光寺展望台から名古屋市内の遠望(右)。左は駅前の高層ビルを撮る。


代官所址
ポケットパークにある説明板。

定光寺と愛知高原国定公園第1部 第2部

徳川家300年の礎を築いた先祖・松平親氏公の松平郷
徳川家康公 愛知史跡めぐり(その1) (その2) (その3) (その4)
(その5) (その6) (その7) (その8) (その9) (その10) (その11)

徳川園第1部 徳川園第2部 第16回春姫道中第1部 1:東照宮夜桜

奉祝・新元号第1部 「金シャチ横丁」第1部 第2部 国定公園その2

徳川家康公の先祖・松平郷(豊田市)を訪ねるわくわく旅 第2部 豊田市東部から岡崎市北部の旅

徳川家康公ゆかりの地めぐり 鳳来寺・東照宮、設楽原決戦場

名古屋城本丸御殿完成記念号(第1部) (第2部) (第3部)

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