愛知・38市史跡・社寺めぐりー新城市(その3)

新城市3回目の訪問は駅から南部方面を左廻りで旅をいたします。


泉龍院。上左:本堂。上右:山門。地元では「大洞山」と呼ばれて泉龍院では通じなく困りました。
泉龍院


泉龍院境内の東照軒跡地。泉龍院は新城市7回目の訪問で2017.9.29日撮影したものです。


泉龍院境内と山門。


庚申寺。芭蕉句碑のあるお寺として知られ、元禄4年(1691) 江戸に下る途中、
新城の太田白雪を訪ねた時に芭蕉が詠んだ句碑があります。 庚申寺


正養寺。 正養寺


杉山端城跡(左)。右は城跡前の国道151号線の風景。リンク:杉山端城跡
杉山端城跡


道目記城跡。黄色の矢印。リンク: 道目記城跡 道目記城跡


飯田線野田城駅前の案内板。


法性寺大門。野田城跡西に建っています。


法性寺本堂(左)。境内の信玄が鉄砲で撃たれた場所案内板。


野田城跡。中は「野田城址」石碑。左:城郭内、社の赤鳥居。 野田城跡


城郭内の神社(左、中)と「笛の盆」の幟(右)。


城郭入り口(黄色の矢印)に立っている説明板。


野田城跡から線路下を抜け大野田城跡へ行く街道1、左の林の中にひっそり建つ祠(右)。
すぐ横の数基の石仏群(中)。多分、馬頭観音堂ではと思います。その向かい側に立つ
石碑(文字不明)。ここから大野田城跡まで案内して下さったお父さん有難うございま
した。


野田城跡から大野田城跡へ行く街道2、左から順に2基の石碑。千郷神社。大野田城跡東へ
約150mの津島神社。 千郷神社


大野田城跡。 大野田城跡


嶋田氏陣屋跡。寛永2年(1625)島田成重氏が三河国設楽郡中市塲の幕府領を拝領した際、
旧三河代官屋敷を陣屋として入り、明治維新まで続きました。昭和38年1月1日に市指定文
化財に指定されました。 嶋田氏陣屋跡


石田城址。 石田城址


石田城址近くの方から頂いた 小冊子を引用しました。 右説明文拡大


石田城址全景(右)、右下手前の道路は旧秋葉街道。左は堀跡。


旧秋葉街道沿いの泉蔵寺。左から宝篋印塔(ほうきょういんとう)。中は山門と常夜灯。
(黄色の矢印)。右は山門横の石塔群。現在は無住寺となっています。 泉蔵寺


上記小冊子から出稿。豊川の渡船で三河と遠州を結ぶ拠点として賑わったと記されています。

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