中山道 脇往還:美濃路(墨俣宿その1)

中山道(中仙道)脇往還:美濃路の旅
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美濃路新川橋西詰めポケットパークにある説明版を拡大。信長をはじめ 秀吉家康
前田利家山内一豊佐々成政などこの街道を縦横に飛びまくって出世して行った。
出世街道と言われる由縁もここにあると思います。そして彼らを支えた「ねね」は地元
「まつ」も2キロ圏内(七宝村)に生まれた。 さあ出世?(アクセスアップ)目指して歩こう。


墨俣宿・本陣跡前の案内板。


起宿・起渡船場(上の定渡船場)に対する羽島側の渡し場跡の石灯台。
今回の墨俣宿の旅はここからスタートします。


羽島側の渡し場跡の石灯台付近から対岸の起宿(左)と木曽川上流を望む。


起・定渡船場に対応する美濃側の船着場で金刀比羅神社 (大浦輪中の堤防の下)横を通り
約200メートル西へ進む。


旧木曽川堤防上にあったこの道標を民家の庭先に移転したもの。この突き当たりを右折して北に向かう。


民家の庭先の道標(黄色の矢印)とすぐ近くの地蔵堂から北を見る。


正木小学校内にある不破一色一里塚跡。 美濃路:羽島市不破一色一里塚跡


不破一色一里塚跡の町並み。ここから東へ約6キロ強には掛川〜高知城主まで出世した
木曽川・黒田に誕生した山内一豊がいた。


開白寺。前にあるコの字型に並んだ20体近い石の仏像は印象的でした(右写真)。


街道左側のスーパー「カネスエ」駐車場の横にあります。


ここより東北1.6キロ上流に鎌倉街道があったという。鎌倉街道・賀茂神社


間の宿のあった南宿・枝村(現足近町南宿)の案内板。ここ南宿・北宿の間に鎌倉街道の
宿駅があった。この先約800メートルが昭和30年代、新幹線羽島駅新設に伴う
区画整理によって美濃路が失われたとある。


間の宿のあった南宿付近の町並みと西方寺(羽島市で最古の寺)を案内する大きな石造の
道標(右写真)と上記案内板。高札場もあり、南宿村の「小休所」は加藤酒店加藤孫兵衛家が勤めた。


親鸞聖人御旧跡、美濃国太子寺跡の西方寺。関東より御帰洛のみぎり、当寺に留銭した時、
寺僧の佑善が聖人と師弟の契りを結び、浄土真宗に改宗したとある。

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