鎌倉街道(呼続→熱田神宮東門その1)



今日の鎌倉街道を訪ねる小さな旅はここ呼続の熊野三社から神宮東門へ向けスタートします。
途中の経路が判然としませんので要所要所で確認しながら神社、仏閣を主に訪ねます。


熊野三社は山崎城に佐久間信盛が城主としてやってきた永禄年間(1558-1569)に、
その信盛が山崎城の守護神として祀った。


安泰寺は山崎城跡に建っています。法泉寺(右)の門前にある地蔵堂、すぐ近くです。


右は師長小橋と遠くに見える法泉寺、安泰寺の森。左は師長小橋の南たもとの
迦具土神(かぐつちのかみ)神社、火除けの神様。
人間は古くから火の神を大事に祀ってきました。そういう火の神の代表格が、
この迦具土神なのです。愛宕神社や秋葉神社の祭神としての迦具土神(火産霊神の名で
祀られていることも多い)は、防火の神として知られています。
法泉寺、安泰寺付近から東海道(西北、山崎橋へ)と分かれてこの師長小橋を渡り、
師長蟄居跡(下段写真)を通り龍泉寺へ北上する(推定)。


妙音通に建つ道標と藤原師長公たっ居跡に建つ石碑。


藤原師長公たっ居跡。ゆかりの琵琶里町、白菊町、清音寺。 説明拡大はここ 藤原師長公たっ居跡


ご本尊薬師如来像は聖徳太子御作。井戸田薬師とも呼ばれる。


長福寺東角の秋葉社。


龍泉寺前のこの道は鎌倉街道跡といわれる。


上記街道沿い、龍泉寺東の最経寺にある最上稲荷大明神(日本三大稲荷の一つ、岡山・最上稲荷)。
右は龍泉寺北にある長福寺。創建は奈良朝時代といわれている。本尊は聖観世音菩薩。


井戸田学区内の史跡です。


井戸田学区内の史跡です。左写真小さなお堂が為麿塚。


戦前この地域一帯の田光ヶ池で水泳をして溺死した者、埋め立てや天神山を崩すときのたたりで
出た犠牲者を慰めるために当神社が建立されたと伝えられている。 町名も白龍町である



若宮八幡あるいは井戸田八幡とも称され、神社は古墳の上に建てたと伝えられる。
神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。

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