東海道五十三次、宮(熱田)宿(その4,七里の渡し特集)

The 53rd Tokaido Posting Station(Miya or Atsuta no.4)


広重画(宮,熱田神事)


宮の渡し場跡から堀川南(現名古屋港方面)を撮る。


赤い文字をクリックして下さい。七里の渡しはこちら
往時を彷彿させる宮の渡し場風景。宮の宿は東海道一番の賑わいを見せたといわれます。
名古屋城下朝日橋から遊覧船で、大須付近とここ熱田の地に立ち寄りガーデン埠頭
(水族館など)〜金城埠頭(jrリニア・鉄道館など)まで定期船を開設し伊勢の「おかげ
横丁」までゆかなくても歴史遺産を活用して欲しいものです
国道3本で分断された歴史遺産をまとめるため、神宮南門から1号、247号、19号線を地中化し
宮の渡しへ約300mを繋げて欲しい。町の賑わいは信仰(お祈り、お参り)と日常の生活から始まり、
長野・善光寺、四国・金比羅様、伊勢・おかげ横丁、京都・伏見稲荷近くは日本一の大須商店街(万松寺、
大須観音)、おちょぼ稲荷などの歴史があり観光だけでは「景色は5分見れば飽く」 の悪いたとえがあり、
1900年の歴史と三種の神器を祀る熱田神宮を中心にした街造り始めて欲しい、幸いにも名城線神宮西駅、
伝馬町駅があり幸い民有地であり工夫次第でもっと賑わいを増やす。残念ながら名古屋城、熱田神宮(宮宿周辺)、
久屋大通り、栄東北広場などは公有地で、街と繋がらず、観光地として長い歴史がありながら今ひとつはがゆい。
企業垂涎の栄交差点東北角地がいまだに空地なのがいい例です
。 JR東海・名古屋駅、名鉄・名古屋駅付近の東西はすべて民有地でありその発展ぶりは目を見張ります。
世界一の電池充電、エコ設備を備えたバス、自家用専用巨大ターミナル駅を現在の1号線
都市高速と交差する松田橋付近からから伝馬町交差点を横切り神宮南交差点付近まで一号
線の上に4〜5階建の建物(758m・ナゴヤで世界一)を作り将来jr熱田駅、名鉄神宮前駅
地下鉄伝馬町駅を統合し、熱田神宮〜伊勢神宮を結ぶ近鉄(冨吉駅から分岐またはシャト
ルバス)も乗り入れて頂き、中部空港もより近くなり300年前の街道一の賑わい取り戻す。
公有地だから出来るはずないか。

更に鉄道と車の二大拠点を最短で結ぶ地下鉄名城線を分岐して1号線を西進し昭和橋付近
から北進、中川運河に沿い3本目を名古屋駅西に乗り入れる (市道は直通工事開通)。リニア
・モーター完成後は名古屋駅では(昭和32年開通時と比べ島式ホームが上り下り別に
なっただけ)乗客を安全快適に捌ききれないし(桜通線は東山線、名城線の効果を果たせない)、
運河(昭和時代の発展に貢献)の再開発にも貢献できる。工事費は国道と運河沿いの市道を
利用すれば比較的安く出来るはず20〜30年年位の計画で実現して欲しいものです。
構想だけでも冥土のお土産としたい。随分偉そうなこと言ってきたな。
2022、10、26追記。

徳川家の大先祖・約630年前の松平太郎左衛門親氏(応永元年1394年没)以来 の
転変・地変の歴史の上に築かれた名古屋市こそ永遠に幸あれと願うばかりです。
2023年には名古屋市在住95年になります。2022、12、24日追記。

今回のjr東海の壮大なリニア・モーター完成後は国土交通省はもちろん、経済産業省も
名古屋への移転は当然のこと(東京直下型大地震の想定もあって)で、次元が違うとはいえ
オリンピック開催後の経済効果とは比べものにはなりません。1964年(東京オリンピック)
の東海道新幹線開通後の経済効果は計り知れないばかりかバックアップ首都:名古屋に
未来(強固な名古屋台地と共に)が開けます。

東京オリンピック後の2020年、昭和39年(1964年)当時の経済を思い起こしてみると
翌40年には株式市場の大暴落(当時花形成長株のソニー株:251円。tdk:53円の最安値)
から始まり政冶不安もあって戦後初の赤字国債が発行され現在も増勢を続けています。先日
亡くなられました堺屋太一先生もオリンピック建設が終わる2019年〜2020年ころを
懸念されていました。景気循環は約25〜30年ごとに訪れると予想します。それは世界の指導
者層がほぼ入れ替わるからではないでしょうか。株価は1995年前後にソニー、
トヨタなど底をつけています。

第二のピンポン外交を期待したい。G20外相会議名古屋市で開催されます。
2019.11.22、15時。 ピンポン外交記念モニュメント

リンク:御座船・義丸 熱田の再開発希望付近
熱田の再開発,名鉄常滑線


西浜御殿では船の出入りや旅人の記録なども行われていました。 西浜御殿跡


内田橋の欄干に設置された七里の渡し場風景。


七里の渡し場公園。


内田橋から欄干越しに渡し場付近を撮る。


時の鐘鐘楼と常夜灯。


関連伊藤圭介 水谷豊文


七里の渡し公園風景4景。


宮の渡し場の鐘楼。正確な時を知らせるこの鐘は旅をする人や熱田に住む人々にとり
重要な役割を果たしていた。昭和20年の戦災で鐘楼は焼失したが鐘は今も近くのお
寺に当時のまま残っている。熱田まつりの前の毎年6月の第一土曜日 には堀川まつり
がこの渡しを中心に行われます。関連 時の鐘拡大  洲崎神社


佐屋街道美濃街道を経て清洲へ運びました。 左端は歩道に埋め込まれたモザイクタイルの案内標識。
魚市場跡


七里の渡し公園前にあります。現在は福祉施設となっています。


現在の観光船のりば待合所の案内ポスター1。


待合所の案内ポスター2。 リンク:御座船・義丸


2010年6月5日、堀川まつりで撮影したものです。常夜灯、鐘楼に灯りが点され昔を偲ばせます。
巻き藁舟も参加し、昭和30年頃には毎年見られた光景でした。



「大山」第21回堀川まつり)。 110年ぶりに引き回し



七里渡し灯台址(喚応寺境内)、駅から西へ約4.1キロ
港区藤高3丁目にあり、熱田から桑名へ向かう東海道の海上
七里の航路にあたっていた。この辺りは州の多いところで
航行の安全と渡船夜泊の標識として毎夜灯りが点じられた
七里渡し灯台址


画像の中の赤い文字をクリックして下さい
この七里の渡し航路図は愛知県図書館蔵書「佐屋街道」からコピー拡大したものです。
明治元年、明治天皇ご一行は桑名宿から佐屋宿へ「三里の渡し」を航海中、 焼田港付近
で川の堆積物などで進めなくなり焼田港でご着船になりました。是が契機となり「明治
の東海道」が開発されました。


「明治の東海道」
の熱田起点(左)と「ふたつやの渡し」弥富市終点(右)。

佐屋路と周辺の主要街道
ウィキメディア・コモンズ経由で・佐屋路と周辺の主要街道[? 1]

佐屋路と周辺の主要街道

第21回堀川まつり)2010.6.5(203.8mb,bgm付)

次は桑名宿 熱田参りじゃ
次は鳴海宿(お江戸日本橋へ)

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