荒子駅(あおなみ線地上駅)周辺案内

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左は駅前から北、小本〜ささしまライブ方面。右は駅前から南、中島〜名古屋競馬場方面を撮る。
このサイトでは高畑駅(その2)と一部重複しています。


左は荒子駅で偶然出会ったSL−あおなみ号。右はささしまライブ付近を走行するあおなみ号。


あおなみ線荒子駅前に完成した前田利家像。前田利家19歳(稲生原古戦場)
この合戦で手柄を立て槍の又左の異名を取る。関連:高畑駅


荒子駅前のポケットパークに建つ、まつ(左端)が初陣(利家)を見送る銅像。


ポケットパークに植えられた梅の木。


荒子駅と薬師寺


左は小本駅南の神明社、小本駅が近い。右は荒子駅から東へ約100m、若宮八幡社です。


西生寺。真宗大谷派、山号は宝林山。寺伝によると、鎌倉の士木村左兵衛という者が文治年間
(1185?90)に流浪し、前津の小林に来住、親鸞上人に師事し西光と号した。そして、この地に
一寺を建立し、西光坊と称した。その後、丸米野村に移り、さらに天文元年(1532)8月に現在の
地に移転した。境内には大きなイブキの木があり、市の保存樹に指定されている
中川区役所説明文引用。 西生寺


史跡コース東山線西の終着駅高畑駅から東南約500メートルにある
荒子城跡天文年間前田利昌が築城、その子利久、利家,利家の子、利長が相次いで
居城した。天正三年(1575)利家が越前国府中(福井県武生市)に同9年に
利長も同地に移るに及び廃城となった。利家の家臣には荒子衆が多く村井長頼
奥村(永福)助右ヱ門などがいた。今でも荒子には奥村姓が多いという。
山門は城主前田利家が修理寄進したといわれる。まつの生誕地
縁日コース右写真は尾張四観音の一つ荒子観音寺の山門(仁王門)で
この門には3メートルを越える二体の仁王像をはじめ、1240体あまりの円空佛が
残されています。毎月第2土曜日に一般公開されています。毎年2月3日の節分に
その年の恵方のお寺へお参りするとご利益があるといわれ江戸時代からは庶民の
参詣も盛んになってきました。12年5月13日写す

「利家とまつ」の荒子城址、観音寺など を高畑駅からムービーでご覧下さい・・・・・ここをクリックして下さい


史跡コース駅から西へ約2.3キロ、庄内川にかかる新前田橋を越えた、中川区前田西町にある
前田速念寺です。右は前田古城跡の石碑と左は屋根が戦国時代の兜を思わせる本堂の屋根です。
この地が前田家発祥の地と言われる。速念寺の案内書によれば荒子説がよく知られているが、当前田
城で生まれあとで荒子に移ったとするのが当寺の寺伝であり、利家の出生は天文6年か7年とされる
が、そのときに荒子城が存在したかどうか疑問であるとされ、利家の身辺警護に荒子衆が当たってい
たので荒子出身といわれるようになったのであろうと記されています。
また加賀前田家との関係について利家が加越能の大守として北上のとき、前田の村民も多くこれに従
い金澤尾張町へ移住したかと思われる。天保年間など加州侯江戸へ参勤の折り、熱田宿ご本陣へ、
前田村百姓総代を呼び寄せ、お菓子など賜る古例があった。明治以後、前田侯爵家では、祖先の地を
尋ねて、歴代速念寺に参詣せられているとも記されています。なお門柱の前田速念寺の文字は前田利
定元子爵筆である。リンク:帝國博物学協会 ・尾張國 前田城

利家、まつ(芳春院)特集

加賀、能登を訪ねて(前田利家の城下)

南荒子(金城ふ頭行き) 当駅あおなみ線次は 小本(あおなみ線・名古屋行き)

あおなみ線名古屋→小本車窓風景(その1) 荒子→稲永(その2) 稲永→金城ふ頭駅(その3)

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荒子駅(あおなみ線地上駅)
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